薩摩の武士が生きた町 〜武家屋敷群「麓」を歩く〜

鹿児島市

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探勝園

探勝園
鹿児島城二之丸庭園で、島津家25代当主重豪のときにつくられました。はじめ千秋園と呼ばれていましたが、27代当主斉興のときに手を加え探勝園と名付けられました。28代当主斉彬が本丸との電信の実験を行った電信使用の碑や久光及び29代当主忠義の銅像などがあります。
 お問合せ  鹿児島市教育委員会文化財課 
TEL.099-227-1962

鹿児島城跡(鹿児島市)
の構成文化財

日本遺産「薩摩の武士が生きた町」魅力発信推進協議会事務局
(鹿児島県教育庁文化財課内)

鹿児島市鴨池新町10-1 TEL.099-286-5357